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古代のやさしさとは倹約か

 投稿者:chikara  投稿日:2016年11月23日(水)22時13分24秒
返信・引用
  日本國の船出の書

古事記と日本書紀。この中に「やさしさ」と「倹約」がある。そして万葉集へ続き
このことが、唐國からの侵略を逃れた。次に風土記へと続いた。

 何もない時代、大変な事。まず「紙」をすき「筆」と「墨」「閉じ紐」をつくる。
やさしさの中に倹約がしのんでいた。

①鬼(おお)  ――→ 大(おお)
 素盞鳴   ――→ 須佐之男

②出雲勢(力) ――→ 八十神
 鬼刀禰   ――→ 八咫烏
 鬼刀禰之國 ――→ 根之國

①は今ならひらがな・カタカナだけど確立されてないので漢字で「読み方」を教えると共に「字画数」を減らし墨の節約をしている。
②は時(書く速度を上げる)と墨の倹約。
①の「鬼(おお)」は書の主役でありながら、「人」ヒトの「一」ハジメ ――→「大(おお)」
に変えられた。
②の記載・書は今なら誹謗中傷。
「神」の意味のひとつ

アマテラス・・・「神」。

ここでは、個人ではなく団体。おそらく個人であれば「尊(みこと)」がついてくる。
 「神」とは、なかよし「倶楽部」や なかよし「会」。
 筆者の考えではアマテラス・・・「神」は総勢14名。不比等,行基,人麻呂,鬼刀禰族の11名{長(をさ)と家来(けらい)}。

 「鬼(おお)」―→「大(おお」。古事記,日本書紀,万葉集,出雲風土記で使われている。
 例 出雲風土記で出雲大川。出雲鬼川。川の両岸に「たたら製鉄」の民が住む。

なおかつ彼らは「ひらがな」「カタカナ」をつくった。

墨の倹約。「鬼」―→「大」。ひらがな「おお」―→「おに」(おが二こ)。
もっと墨の倹約。「ひらがな」―→「カタカナ」、「おに」―→「オニ」。

③「おかみ」{「雨」カンムリに「龍」}の文字。
ほんとうは「人」の「二」バンで「天」としたかったのであろうが、縦長文字をわけて墨を倹約している。「雨」―→「天」。「お・あめ」―→「てん」、「テン」。
「龍」―→「神」。「りゅう・かみ」―→「かみ」、「カミ」。
「龍」の読み「りゅう」―→「たつ」、「ひらがな」―→「カタカナ」、「たつ」―→「タツ」。
 
 

浜田市三隅町西河内 字「八曾(やそ)」地名考

 投稿者:chikara  投稿日:2016年11月 5日(土)11時44分3秒
返信・引用
    古代三神社と曾(祖)との因果関係。

*鬼刀禰族(おおとねぞく):たたらで鎌や斧、剣をつくる。
*春日和邇族(かすがわにぞく):大和の春日に住んでいた渡来人。古代社金(刀)比羅神社、インドの神「大黒」や「ワニ」信仰。
*春日小野族(かすがおのぞく):大和の春日より入植。
*牟婁物部族(むろもののべぞく):元は紀伊半島から土佐・室戸岬~阿波・吉野川域~大三島~大麻山(室谷)に入植。
*阿波忌部族(あわいんべぞく):物部族と共に入植。
*スサノヲ:古代社。彌榮(いやさかえ)神社。
*高おかみ:字「谷」に鎮座の古代社。貴布禰(きぶね)社。
*柿本人麻呂:綾部氏と共に7歳で大和の春日より。

参考・引用文献。
浜田市立中央図書館蔵書の「井野村の歴史」。
浜田市立三隅図書館蔵書の「三隅町誌」P1158~1163.
柿本人麻呂神社・戸田の古文書。



グーグル写真
 

狼煙(のろし)リレー

 投稿者:chikara  投稿日:2016年11月 3日(木)20時57分49秒
返信・引用
   30日(日)家を早朝6時出発。西の高野山と呼ばれる、浜田市三隅町・大麻(たいま)山に8時過ぎ(山頂へ)到着。展望台に登る。海岸線は萩沖から大田沖まで見渡せるが、三隅城(南)側は樹木の背が高過ぎて見えない。頂上を1時間駈けずり回るも映写ポイントなし。室谷の大麻口へ下りるも、こんどは「水来(みずき)山に視開を阻まれる・・・。室町時代始め石見国の所領を得た大内義弘が高城と出城(砦)の狼煙リレーを見て「三角」を「三隅」と改めた。「隅」の字を大陸から輸入した。太平記の三角入道こと「兼連」の生き様は「隅」の字。「隅々まで・・・」の使いまわしも生んだ。

 日本書紀にも「隅」の字が廿八巻(段)に出現する。これは、義弘が室町時代始め京都の天皇家所蔵の書に筆を加えたことになる。廿八巻から最後まで偽書。熊襲や隼人は嘘。

 今は「古事類苑・神祇部一~五」をデジタル化しているとこです。

写真は中央公園高台から針藻城の遠見矢倉。三隅水軍の拠点。
 

鬼についてⅤと日本書紀研究

 投稿者:chikara  投稿日:2016年10月16日(日)15時18分41秒
返信・引用
   第廿七巻(段)で五例。「鬼室」読みは「おおしつ」。意味的なものは王室や皇室に等しい。

 第廿八巻(段)以降は「大内義弘」の書き込み。「隅」の文字が頻繁に出現している。この文字は、宋の時代に創られ
元時代も引き続き使われ、日本へは鎌倉時代の終わりから室町時代始め頃入ってきた。当時大陸と貿易をしていた
義弘が地名に使った。最初、あらたに領地とした石見の国。城の配置と三角兼連(みすみかねつれ)の生きざまを見て
「三隅」とした。城の配置から「隅々まで」の言葉も生んだ。
 

底の国&鉄器から青銅・銅器へ

 投稿者:chikara  投稿日:2016年 9月15日(木)22時51分7秒
返信・引用
   日本海(江津沖)から本流、支流を絵に書くとする。本・支流を八頭龍(九頭龍)最後は日本海(龍の胴体)へ。龍の絵を縦に書くと、川本から江津は部分的に「底」となる。古代の国というのは、8000人くらい住人いる「地域」のこと。

*底の国:人麻呂の伝承「水を潜って海神の国。地を通って根の国、底の国に抜けると出雲の国へ出る。底の国をパソコンでみると。「西中国・にしなかくに」再度パソコンでみると。「細戈千足国=サホコチタル・ホソホコチタル・ソコチタル」パソコンの解説を記すと。もともとサホコチタル国は根国の一部であったようで、根国との区別があまり明確でない。「ホソホコチタル」の意味は精巧な武器(戈や鏃・やじり)をつくる人たちがいた地。
「川本町誌」歴史編p31.32 p46.47で「瑞穂町・長尾原遺跡」内容が書かれているが、大集落となる「たたら製鉄」の遺跡とおもわれる。そこの住人が激減しとき、川本地区の人口が激増している。江津市大字後地に「波来浜遺跡」がある。墓のよせ集めで、その1つB二号墳第一、第二、第三、第四、第五の主体が収められているが、副葬物がバラエティー。
・第一主体、八個の土器と1本の鉄鏃。
・第二主体、二個の土器。
・第三主体、土器三個、鉄鏃銅鏃各二本。
・第四主体、土器一個、銅鏃二本。
・第五主体、土器一個。
8世紀の初めに海(江津)~川本(江川沿い)までの国・「底の国」が存在した。
時代は、鉄器から銅・青銅器に移行した。

参考・引用文献
*「波来浜(ならはま)遺跡発掘調査報告書」―第1・2次緊急調査概報―江津市教育委員会昭和48年3月 1973
*「長尾原遺跡発掘調査報告書Ⅰ」瑞穂町教育委員会1994
*「江津市の歴史」校閲 小笠原宣秀 編者 山本熊太郎 江津市文化財研究会1970 ( 昭和45年)p2~6
*「川本町誌」地誌篇 著者山本熊太郎 小笠原純久1969(昭和44年)
*「川本町誌」歴史篇 川本町誌編纂委員会 門脇俊彦 三上鎮博 原龍雄 尼川尚明 波多野虎雄 森脇太一 藤田典幸1977(昭和52年)
 

「八岐大蛇(やまたのおろち)」

 投稿者:chikara  投稿日:2016年 9月15日(木)22時40分39秒
返信・引用 編集済
    古事記で出雲国と記載があるが、実際は「江の川」。記紀と伝承から古代神社とゴウ川の関係。

 古代人は
龍龍龍
龍龍龍
龍龍龍(ごう)川と書いた。

 スサノヲと鬼刀禰(おおとね)が上根に到達したとき、すでに物部族が「龍山(たつやま)」にオオヤマツミの社を建てていた。この社の為、出雲の国と間違った。

 九頭の龍から「龍山(神社)」に一頭とられ八頭龍になった。上根の地には簸川(ひのかわ)が流れ。大蛇の伝説がある。”女が井戸のそばで洗い物をしていたとき、櫛を井戸に落し飛び込んで取ろうとした。女は大蛇に変身し櫛をくわえ出て、川を下って行った”。→櫛名田比売(くしなだひめ)・・・古事記。

 簸川の下流の可愛(えの)川流域でも大蛇や神武の「宮の城」進駐。稲田川(現在は多治比川)・稲田橋。→奇稲田姫(くしなだひめ)・・・日本書紀でも安芸の国と記載。スサノヲと清(すが)神社。「やまたのおろち」は「江の川」。

*広島県安芸高田市八千代町上根。分水嶺ちかく。
 大蛇の出現場所=簸川の水源=国王ヶ池(ごこうヶいけ)。

写真は 稲田橋、多治比川(たじひかわ、古代は稲田川)。宮の城(みやのじょう、古代 神武の駐屯地)。
 

やたがらす

 投稿者:chikara  投稿日:2016年 9月15日(木)01時43分42秒
返信・引用 編集済
  「八咫烏」とは、人麻呂の「鬼刀禰(おおとね)」への誹謗中傷。
古事記、日本書紀作成に関与している。[禰]の字を書きたくないだけのこと。
メソポタミアの最初の 王朝を倒した歴史をしらない。銅剣より強力な鉄剣や鎌の作成。星座の観測と航海術。日本語の50音のしくみ。
 年がら年じゅう炭を 扱っているので、顔も手足も衣も真っ黒。身丈も145前後。長(をさ)の指示や返事が「かぁかぁ」と聞こえたのであろう。3本足というのは[鬼]文字の足部分。
 

「利根川」古代人は「鬼刀禰(おおとね)川」とかいた

 投稿者:chikara  投稿日:2016年 9月15日(木)01時14分26秒
返信・引用 編集済
   前方後円墳群が集中する群馬県中央をながれる、関東の大河「利根川」。
古代人は「鬼刀禰(おおとね)川」とかいていた。「大刀禰川」→「大利根川」→「利根川」。

*神亀三年(726)とき朝廷は、全国の山の名や土地の名,川の名を三字名なら二字名に、凶音をもつ名は好文字の名に変えるように命令した。
 

日本國の最初の天皇

 投稿者:chikara  投稿日:2016年 9月13日(火)09時17分30秒
返信・引用
   聖武(しょうむ)天皇724~749
もちろん八咫烏と呼ばれた鬼刀禰(おおとね)血筋。
このころ、植樹の木々が育ち大きくなり、宮中や家屋の材料となりはじめた。
 

「古事記・稲羽の素兎」

 投稿者:chikara  投稿日:2016年 9月12日(月)14時14分13秒
返信・引用
  話は2部構成
 ①兎の海を渡る話。地名=「氣多前」・ketamae = 出雲勢力の土地 =火山灰の降る怪しく変な地形が多い国のひとつの前まで。「和邇(わに)」= 鯨くじら・和邇族(第三の海人の作った)軍船。どこに、上陸しようとしたか。 島根半島・中部の北で「鬼島」・鬼(おに)刀禰(とね)族・たたら製鉄の民。「大黒島」=大黒天(だいこくてん)=インドの攻撃の神。上陸の寸前に「八」=出雲勢力のことで、人麻呂・得意の略字、八を書き。中に縦に棒線を引き、次ぎに二の字を書くと「出」、雲なんてめんどうだったのだろう。鬼刀禰なんてとんでもない。兎=兵 は日焼けした肌を切られてしまった。

 ②人麻呂・不比等・行基と小野族・鬼刀禰族・忌部族・関東の蝦夷人で、出雲王朝を倒した話。大黒天が言った。水門(境水道)から真水へむかい(宍道湖から斐伊川の)蒲(ほ)黄(おう)<葉や花粉を乾燥させると傷薬となる。がまの三種のひとつ>をのぼりそこ(物部の本拠・一大率・大社)を倒しなさい。「稲羽」は季節のことで、(昔は平野いっぱいに米の実りがあったが、三瓶噴火により灰が降り注ぎ、日照不足で取れない。そこで物部たちは、東へ東へと勢力を延ばし、あるものは南へと、「氣(け)多(た)」とか「八氣(やぎ)」あやしげな土地名)米の収穫に行った為、守りが手薄と知っていた。人麻呂も行基もこの地は初めてでない。 境水道入口付近。松江市美保関町に三保神社(昔鯨が群れをなして現れその1頭が固まって島となったそうだ。また毎年正月に神社に鯨が参拝するそうだ)これが(水道・海中)鯨島である=人麻呂のうわさ・昔話のたぐい。 唐の進駐軍が来たとき、ケツの穴の毛まで抜かれる事を知っていた。

・実地調査 2014/09/26
*松江市役所美保関支所0852 55 5740のみなさま
*松江市美保関町菅浦の漁師さんに聞いたところ「大黒島」おおぐしま、(「小黒島」こぐしま)、「鬼島」おにしま、と呼んでいる。また、昔ばなしとか 伝承とかもない。・・・しかし、人麻呂が、話、教えた、事が、1300年後に文字として残っているのは、石見の巨人・おおひと伝説とあわせても おもしろい、すごい話である。

・島根県立図書館 蔵書
*「片江郷土誌」片江郷土誌編纂委員会1965 p10.11
*「大社町史」上巻 大社町史編集委員会1991 p32~36
*「出雲市誌」出雲市誌復刻刊行郷土誌刊行会 出雲市役所1951 p38

 人麻呂のつくった話で、三瓶山の爆発は西暦663年、いまも煙(灰)が上がるのが、確認できる。(いまと言うのは、人麻呂が赴任した西暦702~703年頃)これに上記の「片江郷土誌」の「美保関灯台の風向き記録S33/04月~S37/03月までの風向きと風速毎秒6以上の風向き回数」統計表。「大社町史」上巻で平成元年(1989)の月間天気日数表・大社、松江、松江気象台資料。「出雲市誌」のS16~25年の出雲市の日照時間と風向きおよび風速の表。やはり、灰混じりの三瓶山噴煙は、簸川平野の米作をダメ(日照不足)にしている。出雲勢力である、物部族は、東(特に)へ、西へ、南へと領土を拡大 した。食料と唐・新羅への輸出品としての米確保は、絶対であった。ここで「古事記」の稲羽の兎の「稲羽」は季節を表し、一大率(将軍)のそばの家来も当 然、東国へ稲刈りに向かったはず。大黒天は攻撃の神様であるから、出雲大社は手薄(守りが薄い)、物部族を倒しなさい・倒れる。斐伊川の蒲黄を上り攻撃すれば将軍が倒れるというはなし。物部倒しを「古事記」に入れとかなければと人麻呂も不比等とも、思ったに違いない。
 

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