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民俗伝承から古典を探る

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 2月17日(土)10時12分45秒
返信・引用 編集済
   ①江津の伝承「チビヒメと大人」。
 ②三瓶山麓の伝承「サヒメ」。
 ③古事記。
 ④日本書紀。
 ⑤出雲國風土記。
 ⑥萬葉集。
 ⑦石見誌の「穴門」読み:「なかと」。

 ①~⑤での共通点。上空から見下ろしている。①~④は「高島」。⑤は「弓ケ浜」。当時、飛行機ももない時代だから「山頂からの見下ろし」である。①~④の「高島」は「大麻山」山頂より。⑤の「弓ケ浜」は「三瓶山」と「大山」山頂から。①~⑤で登場させるとしたら、「スサノヲ」「行基」「人麻呂」である。⑤のスサノヲの登場。人麻呂は「三瓶」で歌を詠み、⑥の「萬葉集」に記載。「行基」は山頂から「行基図(絵)」を表している。⑥萬葉集250人超が歌を詠んでいる、現在でさえ多数の歌を集めることができない。人麻呂が全国を訪ね紙を漉き(ひとり)記録したもの。同じように行基は、全国の山へ登り紙を漉き行基図にした。行基と人麻呂は行動をともにし、師弟関係がみえてくる。⑦の「穴門」~「高津」までの距離が○里○歩の記載。これは⑤出雲國風土記の記載と同じ。⑦の著者は、島根県・邑南町の賀茂神社神主の家系。行基図関連の説明書のたぐい古文書があったと考えられる。 
 
 

縄文「土偶」についての一考察

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 1月29日(月)17時40分52秒
返信・引用
    筆者の仮説。

  古代製鉄遺跡が浜田市三隅町岡見に「中山たたら遺跡・”大穴”」が存在した。
大穴は、江津市の伝承「チビヒメ」によると、海が大シケとなるに前に娘が「声または音」で知らせてくれる。これが三瓶山の麓の伝承では、「サヒメ」と名を変えている。

 図から、穴の中心から夜空をみると、円の真ん中に北極星が来るようにできていた。これは、古墳の円墳がこの造りとなっている。前方後円墳の円部分もまた同じである。何を言いたいか。小学校の理科の時間に、三角フラスコ(実際には、三角すい)の上部に真横から息を吹くと音がした。遺跡や古墳の穴外は、西側は山があり東側は風の通路が確保されたつくりとなっている。「台風」は時計と反対回りに中心部に向かって風が吹く。古代人はこの大穴で生活していたので、真東より強風が吹き「女の声もしくは音」がする。これが「嵐の知らせ」である。この事を「古事記」のヤマタのオロチの段の前に「於加美娘」と読みを書いている(記載あり)。「雨」カンムリに 「龍」の 「おかみ」の事である。”これが土偶の名である。”

 この土偶はインダスの遺跡やメソポタミアの遺跡からも出土している。外務省の「台風」「サイクロン」の過去の発生状況を見てもわかる。「土偶」発見場所と重なる。
 また、ほとんどが口を開いている。「声」を表現したいのである。

 群馬の前方後円墳の穴の方角は、磁石で示されているので、中山たたら遺跡と群馬の古墳では、角度にして「6°」誤差がある。地球の磁場がシベリアにある為である。群馬の円墳の大穴も同じようにすべて北極星に向いている。

 古代人は台風の接近を知り。また「方墳」部分で銅(銅鏡)をつくり。晴れの日、真南に棒を立て正午12時(北極星と影の最短)をわりだし「鏡」で光を集め「ガラスレンズ」で火を熾したと考察する。
 

スサノヲと彌榮神社

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 1月29日(月)17時12分7秒
返信・引用
   大麻山・彌榮神社(いやさかじんじゃ)と読むそうだ。故人の三浦尚さんが島根県立大学の聞き取り調査(インタビユー)での回答である。浜田市三隅町大字井野の三浦家は、代々廻船問屋だそうで。あの高杉晋作の騎兵隊へもお金の援助をしたとのこと。世界最初の缶コーヒーもこの家がてがけたもの。「花神」の司馬遼太郎氏も井野の地に来られ面談されたと聞く。
 ここからは私の仮説であるが、663年に「三瓶山」が大噴火して中国地方全域が焼失してしまった。渡り鳥が越冬の為、大陸より木の実をほうばり、高島や大麻山で休息したとき、種を落し、ほんの少しの緑が宿ったと考える。品種としては、秦の始皇帝が探させた。「不老不死」秘薬原料・実「ナシカズラ」「ハマヒサカキ」紙漉きの原料「楮こうぞ」の木。
 高島と大麻山を結ぶライン。こと三隅川。「スサノヲ」を名乗る若者が、高島、八曾(やそ)、大麻山へと順序よく、「鬱陵島」の杉の苗木を植樹した。人々は感謝して小さな社を建立したのが、高島の「祇園」社、八曾の「彌榮」社、大麻山の「彌榮」社。この後、「江の川」を下り海へ出た人々が目にした「緑」へ入植するのは、当然のことであり、「田の浦~八曾」へ和邇族。「小野」へ小野族。
「大麻山」へ牟婁物部族(むろもののべぞく),阿波忌部族(あわいんべぞく)。「大麻山のたたらの大穴」で生き延びた鬼刀禰族(おおとねぞく)が存在し、「緑の地」を求め争った。
 行基や人麻呂、不比等は古事記、日本書紀、出雲風土記、万葉集を書き遺したが、「墨」倹約の為に「文字」を変換した。
鬼おおー>大おお。 雨あまー>天あま。読みがわからないが、龍ー>神。穴なかー>中なか。門とー>戸と(尺のうえは「’」)。読みがわからないが、彌榮ー>八坂。
「墨」の造り方。木材を燃やし「すす」を集め(植物の汁)で固めてつくる。この時代、①火つけ石が普及していない。②材木が十分にない。紙漉きと墨造りではどちらが楽で、どんなに「墨」が貴重品であったかわかる。不思議なのは、平城宮跡よりある時代から異常に多くの木簡が発掘された。「やらせ」と思われる。
 

筆者のぽっけ

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 1月22日(月)23時38分38秒
返信・引用
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古代のやさしさとは倹約か

 投稿者:chikara  投稿日:2016年11月23日(水)22時13分24秒
返信・引用
  日本國の船出の書

古事記と日本書紀。この中に「やさしさ」と「倹約」がある。そして万葉集へ続き
このことが、唐國からの侵略を逃れた。次に風土記へと続いた。

 何もない時代、大変な事。まず「紙」をすき「筆」と「墨」「閉じ紐」をつくる。
やさしさの中に倹約がしのんでいた。

①鬼(おお)  ――→ 大(おお)
 素盞鳴   ――→ 須佐之男

②出雲勢(力) ――→ 八十神
 鬼刀禰   ――→ 八咫烏
 鬼刀禰之國 ――→ 根之國

①は今ならひらがな・カタカナだけど確立されてないので漢字で「読み方」を教えると共に「字画数」を減らし墨の節約をしている。
②は時(書く速度を上げる)と墨の倹約。
①の「鬼(おお)」は書の主役でありながら、「人」ヒトの「一」ハジメ ――→「大(おお)」
に変えられた。
②の記載・書は今なら誹謗中傷。
「神」の意味のひとつ

アマテラス・・・「神」。

ここでは、個人ではなく団体。おそらく個人であれば「尊(みこと)」がついてくる。
 「神」とは、なかよし「倶楽部」や なかよし「会」。
 筆者の考えではアマテラス・・・「神」は総勢14名。不比等,行基,人麻呂,鬼刀禰族の11名{長(をさ)と家来(けらい)}。

 「鬼(おお)」―→「大(おお」。古事記,日本書紀,万葉集,出雲風土記で使われている。
 例 出雲風土記で出雲大川。出雲鬼川。川の両岸に「たたら製鉄」の民が住む。

なおかつ彼らは「ひらがな」「カタカナ」をつくった。

墨の倹約。「鬼」―→「大」。ひらがな「おお」―→「おに」(おが二こ)。
もっと墨の倹約。「ひらがな」―→「カタカナ」、「おに」―→「オニ」。

③「おかみ」{「雨」カンムリに「龍」}の文字。
ほんとうは「人」の「二」バンで「天」としたかったのであろうが、縦長文字をわけて墨を倹約している。「雨」―→「天」。「お・あめ」―→「てん」、「テン」。
「龍」―→「神」。「りゅう・かみ」―→「かみ」、「カミ」。
「龍」の読み「りゅう」―→「たつ」、「ひらがな」―→「カタカナ」、「たつ」―→「タツ」。
 

浜田市三隅町西河内 字「八曾(やそ)」地名考

 投稿者:chikara  投稿日:2016年11月 5日(土)11時44分3秒
返信・引用
    古代三神社と曾(祖)との因果関係。

*鬼刀禰族(おおとねぞく):たたらで鎌や斧、剣をつくる。
*春日和邇族(かすがわにぞく):大和の春日に住んでいた渡来人。古代社金(刀)比羅神社、インドの神「大黒」や「ワニ」信仰。
*春日小野族(かすがおのぞく):大和の春日より入植。
*牟婁物部族(むろもののべぞく):元は紀伊半島から土佐・室戸岬~阿波・吉野川域~大三島~大麻山(室谷)に入植。
*阿波忌部族(あわいんべぞく):物部族と共に入植。
*スサノヲ:古代社。彌榮(いやさかえ)神社。
*高おかみ:字「谷」に鎮座の古代社。貴布禰(きぶね)社。
*柿本人麻呂:綾部氏と共に7歳で大和の春日より。

参考・引用文献。
浜田市立中央図書館蔵書の「井野村の歴史」。
浜田市立三隅図書館蔵書の「三隅町誌」P1158~1163.
柿本人麻呂神社・戸田の古文書。



グーグル写真
 

狼煙(のろし)リレー

 投稿者:chikara  投稿日:2016年11月 3日(木)20時57分49秒
返信・引用
   30日(日)家を早朝6時出発。西の高野山と呼ばれる、浜田市三隅町・大麻(たいま)山に8時過ぎ(山頂へ)到着。展望台に登る。海岸線は萩沖から大田沖まで見渡せるが、三隅城(南)側は樹木の背が高過ぎて見えない。頂上を1時間駈けずり回るも映写ポイントなし。室谷の大麻口へ下りるも、こんどは「水来(みずき)山に視開を阻まれる・・・。室町時代始め石見国の所領を得た大内義弘が高城と出城(砦)の狼煙リレーを見て「三角」を「三隅」と改めた。「隅」の字を大陸から輸入した。太平記の三角入道こと「兼連」の生き様は「隅」の字。「隅々まで・・・」の使いまわしも生んだ。

 日本書紀にも「隅」の字が廿八巻(段)に出現する。これは、義弘が室町時代始め京都の天皇家所蔵の書に筆を加えたことになる。廿八巻から最後まで偽書。熊襲や隼人は嘘。

 今は「古事類苑・神祇部一~五」をデジタル化しているとこです。

写真は中央公園高台から針藻城の遠見矢倉。三隅水軍の拠点。
 

鬼についてⅤと日本書紀研究

 投稿者:chikara  投稿日:2016年10月16日(日)15時18分41秒
返信・引用
   第廿七巻(段)で五例。「鬼室」読みは「おおしつ」。意味的なものは王室や皇室に等しい。

 第廿八巻(段)以降は「大内義弘」の書き込み。「隅」の文字が頻繁に出現している。この文字は、宋の時代に創られ
元時代も引き続き使われ、日本へは鎌倉時代の終わりから室町時代始め頃入ってきた。当時大陸と貿易をしていた
義弘が地名に使った。最初、あらたに領地とした石見の国。城の配置と三角兼連(みすみかねつれ)の生きざまを見て
「三隅」とした。城の配置から「隅々まで」の言葉も生んだ。
 

底の国&鉄器から青銅・銅器へ

 投稿者:chikara  投稿日:2016年 9月15日(木)22時51分7秒
返信・引用
   日本海(江津沖)から本流、支流を絵に書くとする。本・支流を八頭龍(九頭龍)最後は日本海(龍の胴体)へ。龍の絵を縦に書くと、川本から江津は部分的に「底」となる。古代の国というのは、8000人くらい住人いる「地域」のこと。

*底の国:人麻呂の伝承「水を潜って海神の国。地を通って根の国、底の国に抜けると出雲の国へ出る。底の国をパソコンでみると。「西中国・にしなかくに」再度パソコンでみると。「細戈千足国=サホコチタル・ホソホコチタル・ソコチタル」パソコンの解説を記すと。もともとサホコチタル国は根国の一部であったようで、根国との区別があまり明確でない。「ホソホコチタル」の意味は精巧な武器(戈や鏃・やじり)をつくる人たちがいた地。
「川本町誌」歴史編p31.32 p46.47で「瑞穂町・長尾原遺跡」内容が書かれているが、大集落となる「たたら製鉄」の遺跡とおもわれる。そこの住人が激減しとき、川本地区の人口が激増している。江津市大字後地に「波来浜遺跡」がある。墓のよせ集めで、その1つB二号墳第一、第二、第三、第四、第五の主体が収められているが、副葬物がバラエティー。
・第一主体、八個の土器と1本の鉄鏃。
・第二主体、二個の土器。
・第三主体、土器三個、鉄鏃銅鏃各二本。
・第四主体、土器一個、銅鏃二本。
・第五主体、土器一個。
8世紀の初めに海(江津)~川本(江川沿い)までの国・「底の国」が存在した。
時代は、鉄器から銅・青銅器に移行した。

参考・引用文献
*「波来浜(ならはま)遺跡発掘調査報告書」―第1・2次緊急調査概報―江津市教育委員会昭和48年3月 1973
*「長尾原遺跡発掘調査報告書Ⅰ」瑞穂町教育委員会1994
*「江津市の歴史」校閲 小笠原宣秀 編者 山本熊太郎 江津市文化財研究会1970 ( 昭和45年)p2~6
*「川本町誌」地誌篇 著者山本熊太郎 小笠原純久1969(昭和44年)
*「川本町誌」歴史篇 川本町誌編纂委員会 門脇俊彦 三上鎮博 原龍雄 尼川尚明 波多野虎雄 森脇太一 藤田典幸1977(昭和52年)
 

「八岐大蛇(やまたのおろち)」

 投稿者:chikara  投稿日:2016年 9月15日(木)22時40分39秒
返信・引用 編集済
    古事記で出雲国と記載があるが、実際は「江の川」。記紀と伝承から古代神社とゴウ川の関係。

 古代人は
龍龍龍
龍龍龍
龍龍龍(ごう)川と書いた。

 スサノヲと鬼刀禰(おおとね)が上根に到達したとき、すでに物部族が「龍山(たつやま)」にオオヤマツミの社を建てていた。この社の為、出雲の国と間違った。

 九頭の龍から「龍山(神社)」に一頭とられ八頭龍になった。上根の地には簸川(ひのかわ)が流れ。大蛇の伝説がある。”女が井戸のそばで洗い物をしていたとき、櫛を井戸に落し飛び込んで取ろうとした。女は大蛇に変身し櫛をくわえ出て、川を下って行った”。→櫛名田比売(くしなだひめ)・・・古事記。

 簸川の下流の可愛(えの)川流域でも大蛇や神武の「宮の城」進駐。稲田川(現在は多治比川)・稲田橋。→奇稲田姫(くしなだひめ)・・・日本書紀でも安芸の国と記載。スサノヲと清(すが)神社。「やまたのおろち」は「江の川」。

*広島県安芸高田市八千代町上根。分水嶺ちかく。
 大蛇の出現場所=簸川の水源=国王ヶ池(ごこうヶいけ)。

写真は 稲田橋、多治比川(たじひかわ、古代は稲田川)。宮の城(みやのじょう、古代 神武の駐屯地)。
 

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